スポーツ仲裁裁判所(CAS)仲裁事例紹介 ロシアのサッカーW杯予選出場を求める暫定措置の適否―FUR v. FIFA etc.
1 事実関係
ロシアサッカー連合(「FUR」)が編成するサッカーロシア男子代表と女子代表は、FIFAワールドカップ2022カタール大会(「男子W杯」)欧州予選プレーオフのポーランド代表戦を2022年3月24日に、FIFA女子ワールドカップ2023オーストラリア・ニュージーランド大会(「女子W杯」)欧州予選のモンテネグロ代表戦を同年4月7日に、それぞれ予定していた。
そのような中、ロシア連邦は、2022年2月24日、ウクライナに対する軍事侵攻[2]を開始した。これを受けて、ポーランドをはじめ、男子W杯欧州予選でロシア代表と直近で対戦する可能性があった3か国の国内サッカー協会(「男子W杯予選対戦国NF」)は、ロシア代表との間で試合を行わない旨の声明を発表した。また、国際オリンピック委員会(「IOC」)の理事会は、同月28日、「国際的なスポーツ競技大会の完全性(integrity)の保持と全ての参加者の安全のため」として、国際競技団体やスポーツ競技会の主催者に対し、国際的な競技大会にロシア代表選手を参加させないことを勧告した。
IOC理事会による勧告と同日の2022年2月28日、国際サッカー連盟(「FIFA」)は、さらなる通知がなされ、状況が十分に改善するまでの間、FURが編成するチームその他FURと関係するチームのFIFA主催競技大会への出場を停止する旨の決定(「本件決定」)を下した。また、欧州の31か国を含む37か国のスポーツ大臣は、同年3月8日、ロシア代表チームが他国と対戦することの禁止等のロシア連邦に対するスポーツに関する制裁を支持する旨の共同声明に署名した。
FURは、本件決定の取消し等を求め、FIFAのほか、男子W杯及び女子W杯の欧州予選を主催する欧州サッカー連盟(「UEFA」)、男子W杯予選対戦国NF並びに女子W杯欧州予選で直近で対戦する可能性があったモンテネグロ及びマルタのサッカー協会(「女子W杯予選対戦国NF」)を相手方として、CASに仲裁を申し立てるとともに、本件決定の効力を停止する暫定措置を、男子W杯欧州予選プレーオフのポーランド代表戦前の2022年3月19日までに命ずるよう求めた。
[2] FURは「軍事作戦(military operations)」と呼称している。本稿では第11回国際連合緊急特別総会における2022年3月2日付け決議ES-11/1に基づき、「軍事侵攻(aggression)」の語を用いる。
2 判断要旨
CAS規則(2020年版)R37条及びCASの先例によると、決定の効力を停止する暫定措置を命ずべきか否かを判断するにあたっては、①申立人を回復不能な損害から保護するために必要か否か、②本案における勝訴の見込みがあるか否か、並びに③申立人の利益が相手方及び第三者の利益を上回るか否かを重畳的(cumulative)に検討すべきとされる。
(1) 回復不能な損害について
競技者個人に対する出場停止処分に関するCASの先例によると、スポーツ競技会への参加を禁じられたこと自体は、それだけでは出場停止処分の効力停止を正当化するに足りないが、当該出場停止処分によって「主要な(major)」スポーツ競技会に参加することが禁じられたり、かかる主要な競技会に参加するために必要な予選会へ出場することができなくなったりする場合には、回復不能な損害が生じ得る。この点、男子W杯及び女子W杯の本大会はいずれも「主要な」競技会と解される。
これに対し、相手方らは、サッカーロシア男子代表及び女子代表は、いずれも、それぞれ男子W杯及び女子W杯の欧州予選の試合を残しており、本大会に出場できる保証はないと主張する。確かに、CASの先例によると、主要なスポーツ競技会に参加できる可能性(possibility)の喪失は、それだけで回復不能な損害に当たるものではない。この点に関し、FURは、ロシア人フィギュアスケーターであるカミラ・ワリエワ(Kamila Valieva)の北京2022五輪への出場(ドーピングを理由とする暫定的資格停止処分の取消し)を認めた事例(CAS OG 22/08-10)を引用するが、ワリエワが当時既に五輪出場資格を得ていたのに対し、サッカーロシア男子代表及び女子代表は、いまだそれぞれ男子W杯及び女子W杯の予選会に参加しているに過ぎないので、前提が異なる。
一方、FIFAは、結果的に五輪出場資格の喪失につながる予選会への出場禁止処分の効力停止を認めなかったCASの先例(CAS 2008/A/1480)[3]を引用するが、本件はこの事例とも異なる。当該事例では、迅速な審理手続によることを当事者が合意していたために、五輪開会の約3か月前には本案の仲裁判断が示されることになっており、(効力停止が認められなかったとしても、本案で出場禁止処分が取り消されれば)競技者は十分な時間的余裕をもって予選会に参加することが可能であった。これに対し、本件では、FURによる迅速な審理手続の申出を相手方らが受け入れなかったために、少なくとも男子W杯欧州予選プレーオフのポーランド代表戦よりも前に本案の仲裁判断が示される可能性はなくなっている。したがって、本件決定の効力を停止しない限り、仮に本案でFURの主張が認められたとしても、ロシア代表を男子W杯及び女子W杯の本大会に出場させることは不可能となり得るのであり、その意味でFURには回復不能な損害が生じ得るといえる。
(2) 勝訴の見込みについて
本案の仲裁廷によってなされるであろう検討を除外して、現時点の提出書類のみに基づいて判断する限り、FURが本案で勝訴する可能性は、一見して明白に疑わしいとまではいえない。
(3) 利益衡量について
FURがFIFA主催競技大会へ参加することについて正当な利益を有することに争いはない。一方、FIFAが自らの主催競技大会のスムーズな運営と完全性を維持し、確保することについて利益を有することも否定できない。そして、男子W杯予選対戦国NFが、ロシア代表との間で試合を行わない旨の決定を公表していることからすると、サッカーロシア男子代表の男子W杯欧州予選への出場を許せば、対戦相手のチームは試合を放棄し、試合自体が行われず、FIFA主催競技大会の完全性は著しく損なわれることが予想される。もっとも、女子W杯予選対戦国NFは、本件に関する立場を明らかにしていないので、サッカーロシア女子代表の女子W杯欧州予選への出場を許した場合に、女子W杯予選対戦国NFが試合を拒否するであろうと考えるべき理由はない。
次に、対戦相手のチーム、選手及びスタッフ並びにロシア代表チーム自身の選手の安全という利益を考えると、これはFURの利益を上回る。FUR自身、安全対策のために追加の費用が必要と認めているが、ウクライナで現在繰り広げられている事象に対する世界的規模の怒りと非難に鑑みると、安全対策を強化すれば選手、コーチその他のチーム関係者の安全を確保する上で十分といえるかは疑わしい。
また、FURは試合を中立国で開催することを提案しているが、欧州の大多数の国がロシア代表の他国との対戦禁止を支持していることからすれば、欧州内で中立国としてロシア代表の試合を主催する国が現れる可能性は低い。
最後に、FURは、本案で本件決定が維持された場合には、FIFAがロシア代表の立場を別のチームと入れ替えるよう指示すれば良いと主張するが、FIFAやUEFAには男子W杯及び女子W杯並びにその欧州予選の完全性を確保する義務があるところ、一旦ロシア代表の試合出場を認めておきながら、後になってロシア代表を排除して他のチームと入れ替えるということになると、他の全ての試合結果が影響を受けるのであって、競技大会の完全性が脅かされる。
以上より、FURの利益は相手方の利益を上回らないので、FURによる暫定措置を求める申立てを却下する。
[3] 両足義足の陸上短距離ランナーであるオスカー・ピストリウス(Oscar Pistorius)に対して国際陸上競技連盟(現・ワールドアスレティックス)が下した、特定の義足を装着しての競技会への出場を認めない旨の決定の有効性が争われた事案。
3 コメント
本件は、2022年のロシア連邦によるウクライナに対する軍事侵攻を理由として、国際競技団体によって同国の国内競技団体に対してなされた処分の有効性が問題となった事例である。
FUR以外にも、上記軍事侵攻を理由として国際競技団体等から制裁を受けたロシア連邦の代表選手、代表チーム及び国内競技団体は複数存在し、それぞれCASに不服申立てを行っている[4]。特にFURは、本件で問題となったFIFAからの制裁のほか、UEFAからも、ロシア連邦に本拠地を置く全てのクラブのUEFA主催競技大会への出場を停止する処分を受けており、当該処分についてもCASに不服申立てを行ったが、2022年3月15日付けで暫定措置の申立てを却下されている[5]。
判断要旨にあるとおり、CASが本案前の処分の効力停止等の暫定措置(provisional measures)を命ずるためには、①申立人を回復不能な損害から保護するために必要か否か、②本案における勝訴の見込みがあるか否か、並びに③申立人の利益が相手方及び第三者の利益を上回るか否かという3つの要素ないし要件を検討する必要があると解されている。本件でもCASの仲裁部門長がそれぞれの要件ないし要素の充足性を検討しており、①本件決定の効力を停止しなければFURに回復不可能な損害が生じ得ること及び②一見して明白に勝訴の見込みがないとはいえないことを肯定しつつ、③FURの利益がFIFAやUEFAの利益を上回らないという点を重視して暫定措置を命じないという結論に至っている。
本件でFURが引用するカミラ・ワリエワ選手に関する先例(CAS OG 22/08-10)でも示されたように、一般に、アスリートがトップレベルで競技できる期間は有限かつ短いものであることを踏まえると、五輪やFIFAワールドカップといった主要な大会への出場の可否に関わる事案であれば①は肯定されやすく、②の要件も、勝訴の見込みが大きいことまでは求められないため、通常は問題になりにくいように思われる。
そうなると、③が重要となり、上記先例と結論が分かれた理由もここにあると考えられる。本件で、相手方たるFIFA及びUEFAは、自団体側の主な利益として、IOC理事会による勧告でも触れられた国際的なスポーツ競技大会の完全性の保持と参加者の安全の確保という要請を強調した。このうち、競技大会の完全性(本稿ではintegrityの訳語として「完全性」を用いているが、「品位」といったニュアンスも含まれよう)という利益は、必ずしも具体的ではなく、とりわけ本件では、女子W杯予選対戦国NFがロシア代表を拒絶する意思を明確にしていなかったこともあり、決定的な要素とはなっていない。一方、参加者(対戦相手国代表関係者のみならず、ロシア代表選手自身を含む)の安全という利益は、2022年3月時点の世界情勢を踏まえると考慮せざるを得なかった事情のように思われ、本件の結論は是認し得ると考えられる。 なお、本件はあくまでFURが求めた暫定措置が認められるかどうかに関するものであり、本件決定そのものの有効性の判断は今後に委ねられていたが、FURは、2022年3月30日付けで本案の申立てを取り下げる旨の通知をCASに行ったため[6]、本案についての判断は示されることなく、本件に関する手続は終了している。
以上
[4] CAS, Summary of the proceedings pending before the Court of Arbitration for Sport (CAS) relating to appeals of Russian athletes, federations and teams, 5 Apr. 2022.
[5] CAS, The Court of Arbitration for Sport (CAS) denies the Football Union of Russia’s request to stay the execution of the UEFA Executive Committee’s decision to suspend all Russian teams and clubs from its competitions, 15 Mar. 2022.
[6] CAS, supra note 4.